児島道裕著 講談社 4062583569

信長に関する本は、いっぱいあるが、そのうちいくつかは読んでいるが
本書のような立場にたったものには初めてであった。

著者は、城下町と楽市の研究から信長とかかわりをもつようになったのだ。
なるほど。本書は、「信長公記」、ルイス・フロイスの報告
「言継卿記」を主な資料としたものである。

権力を握ることは比較的容易でも、従来の権威を乗り越えて
新しい権威になることは、よほどむずかしい。

京都に政権を作りながら体制を覆すことができなかった三次長慶など
すべての戦国大名がことごとく失敗してきた。

おおうつけの振る舞いをすれば、権威に従っていないことはわかっても
それだけでは、ただの大うつけにすぎない。

信長は、権威を一度受け入れるのだ。
権威を得るために葉いったん既存の権威を受け入れるというのが
信長の生涯をつらぬく命題だ。

齋藤道三との会見でも、いつもの非常識な姿をさらしておき
そのご盛装してして道三に望んだ。

岐阜での楽市令制札が、残されているが
これは室町幕府のしきたりにしたがったものだった。

それは、正目、縦位置、三か条だ。
それもかなり無理をしている。

正目縦位置にするため、横に二枚の板をつないでいる。
三か条にするため、むりやり複数の項目を一か条に詰め込んでいる

安土での楽市令は、13条あった。もう、守らなくていいと思ったのか?

将軍の館をつくるときにも、庭をあわせて造った。
それは、当時の将軍の館には庭があるという堅固なイメージがあったからだ。

以上は、権威に関してだが、城に関しても面白い記述がある。
岐阜城は、山の上にある城だが、信長はこの城に住んでいたのだそうだ。
普通山城の場合は、山すその館に住むのだ。

安土城の特長は、中心がはっきりしていること。
当時の城はこれが明確でない場合がおおい。
城主と家臣団との関係が、絶対的なものではなく
相対的、並列的なものだったからだ。
ここから、信長と家臣団との関係がわかる。

桶狭間合戦についても触れている。
当然、奇襲説はとらず、正面突破山登り説である。

尾瀬ほあんの、信長記の影響であるとのべ
後の日本軍にあたえた影響についても触れている。